予備試験を目指すヘボ受験生が書いたヘボい答案を晒すブログ

2019年12月から本格的に司法試験・予備試験の勉強を始めた私が書いたヘボ答案を晒すブログです。

『工藤北斗の実況論文講義 刑法(第2版)』第1問の私の答案 

【問題文をざっくり言えば】

車で人をはねちゃったから病院に運ぶも、途中で気が変わって放置した系の事例です。

不真正不作為犯のやつですね。

 

なんでざっくりなのかはこちら。

shitpapers-of-law.hatenablog.com

 

 

【私の解答例】

第1、業務上過失傷害罪(211条)の成否

甲が自動車を運転中、不注意でAをはね重傷を負わせた行為は、「業務」たる運転をする上で「必要な注意を怠り」、「よって」Aを「傷」害したと言える。(211条)よって、甲の上記行為には同罪が成立し、甲はその罪責を負う。

第2、殺人罪(199条)の成否

1、客観的構成要件該当性

(1)実行行為性

ア)本件で甲は、重傷を負ったAを林の中に放置している。かかる不作為に実行行為性は認められるか。法律上、不真正不作為犯に関する明文がないため問題となる。

イ)そもそも実行行為とは犯罪結果発生の現実的危険性を有する行為をいう。かかる現実的危険性は不作為によってももたらされるから、不作為であれ実行行為性は認めるべきである。しかし、不真正不作為犯の成立要件に明文はなく、安易に認めれば処罰範囲をいたずらに拡大し、刑法の自由保障機能を害する。そこで、①不作為者の作為義務の有無、②作為義務を果たす可能性・容易性を検討し、当該不作為が実行行為と同視できる場合にのみ実行行為性を認めるべきである。

ウ)本件について、これを検討する。

まず、甲は本件放置行為に先行して、Xを自動車ではね重傷を負わせており、これはA死亡という結果発生の危険を創出した行為と言える。よって、甲にはかかる危険を除去する行為が条理上、期待された。

さらに、重傷を負ったAを自動車に乗せて、その保護を引き受けた後、深夜にも関わらずAを人目のつかない林に置き去りにしている。これら一連の行為によって他者によるA救護可能性を甲は途絶えさせた。この時点で甲はX救命に関して支配的地位に至ったと言える。

かかる事情を鑑みるに、①甲にはXの救命行為をすべき作為義務があったと言える。

そして、ここで期待された作為義務の内容は、Xを病院に運ぶことのみであり、車に乗っていた甲をして、②Aを病院に運ぶ行為は十分に可能であり、かつ容易であった。

エ)そうであるにも関わらず甲がこれをなさなかった本件不作為は同罪の実行行為と同視できるのであるから、その実行行為性は認めて良い。

(2)因果関係

ア)本件では、上記実行行為の後にAの死亡という結果が発生している。これらの間に刑法上の因果関係を肯定できるか。

イ)そもそも不作為犯に因果関係を肯定できるか。

不作為犯における不作為とは、期待された行為をしなかったことである。よって期待された一定の行為がなされれば結果が発生しなかったであろう場合、因果関係は肯定できる。そして、かかる因果関係は結果回避可能性が認められれば肯定して良い。

ウ)では、刑法上の因果関係を肯定するにあたり、かかる結果回避可能性はどの程度認められるべきか。

不作為犯もまた正犯である以上、作為犯と同等の結果回避可能性を要求すべきである。よって、合理的疑いを超える程度に確実に結果が発生しなかったと言えなければ、刑法上の因果関係を肯定できないと考える。

エ)本件では、甲がAを病院に運び適切な処置がなされていればAは確実に助かったのであるから、甲に期待された行為がなされていれば、合理的疑いを超え、十中八九確実にA死亡の結果は発生していなかったと言える。

よって、本件での甲の不作為とA死亡という結果には因果関係を肯定できる。

2、主観的構成要件該当性

そして、上記の実行行為をなした際、甲は「このままAをどこかに放置して死んでもらおう」と考えており、A死亡の結果発生を認識し認容していることから、その故意に欠けるところはない。

3、結論

よって、本件甲の放置行為には殺人罪(199条)が成立し、甲はその罪責を負う。

第3、罪数

甲の行為には業務上過失傷害罪(211条)、殺人罪(199条)が成立し、両者は併合罪(45条)となる。

以上

 

【感想】

①不真正不作為犯の実行行為性

個人的には納得しやすかったところ。

 

②不作為犯の因果関係

これについては自分でももやもやしています。

『合理的疑いを超える程度確実に結果が回避できた場合は不作為犯でも因果関係を肯定できる』という規範としての結論は納得できるのですが、この問題集の解答例ではそれを導く過程で条件関係に触れていました。

 

私の中での混乱は、条件関係と刑法上の因果関係の関係についてだと思います。

 

つまり、条件関係=刑法上の因果関係?という疑問です。

私自身は違うと理解してます。

 

現時点での私の理解は以下です。

条件関係とは事実的因果関係でありこれは無数にあるが、刑法上の因果関係はそのうち行為に結果が帰責できる因果関係だけをくくり出して評価する。。

つまり、(文字に起こすか、またはめちゃくちゃ検討するかは別として)一般論としては刑法上の因果関係は全て、条件関係の検討→刑法上の因果関係の検討という二段階を(無意識かもだが)踏む、と。

ただ、不作為の事例は、そもそも事実の経過として「何かしたから何かが起こった」とは言えない事例であり、刑法上の因果関係の前提となる条件関係が認められる余地ないんじゃないの?という問題意識がある。

そこに、判例最高裁平成元年12月15日)は「いやいや、合理的疑いを超える程度確実に結果を回避できたときは条件関係を肯定するよ」と答えた。(その上で、その事例では刑法上の因果関係は普通に認めた)

つまり同判例は、基本的にはあくまで条件関係に関する論証に終始したものであり、当該事案では問題とならなかった刑法上の因果関係に関する論証はカットした。

 

この理解でいいのならば、個人的には問題ないのです。

しかし、『判例ラクティス 刑法Ⅰ 総論』(信山社)の判例最高裁平成元年12月15日)要旨によれば、

「…救命は合理的疑いを超える程度に確実であったから、…行為と…結果との間には、刑法上の因果関係が認められる」(…は私が省略しました)

と書いてあります。

これだと「合理的疑いを超える程度に確実に結果回避できたか」という基準を、刑法上の因果関係の有無の判断基準にしているように私には読めるのですね。

だから、もしかして条件関係=刑法上の因果関係?という疑問に陥り、混乱の挙句に書いた答案では恐ろしくて条件関係に関する記述をまるまるカットしたのでした。

恐ろしいからといって、大事っぽい記述を切るあたりが私のヘボ答案のヘボたる所以ではあります。

 

工藤先生の解説では、不作為犯の事例で、条件関係と刑法上の因果関係が同時に問題になるような出題は稀であり、平成26年司法試験論文試験の刑法での出題は珍しいとのこと。

介在事情でもあったんでしょうか。

もう少し力をつけてから解こうと思います。

 

もっと細かいことも書きたかったけど、ブログ書く時間は勉強時間ではないと思うので、この辺にしておきます。

 

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